
もしそこに鞭があれば、それで誰かを「打ちたい」と思うか、誰かに「打たれたい」と思うのか。
「どちらでもない」という人は嘘つきだと思う。なんとも思わないということを主張して自分がノーマルだとでも言いたいのならともかく、心の底で二つに一つの究極の選択が行われているはず。それを告白しろとは言いませんけど、考えてみてもいいのではないでしょうか。
先月、マレーシアで
ビールを飲んで鞭打ち刑の判決を受けた美人モデルの話題がありました。
これはイスラム教徒にのみ有効な法律で、同法では公共の場で飲酒を禁じているそうです。まずその「違法性」にも異議ありですが、罰金や禁固刑でなく「鞭打ち」という刑罰が実際にまだ行われているという現実が、なんとなく恐ろしいというか、ウレシいというか、複雑な気持ちになりました。
この国のこのトピックは昔からマニアックには有名だったのですが、女性がかつてこの刑を執行されたことはなかったこともあり、今回は国際的にも物議をかもし、人権団体のアムネスティが刑の執行を中止するよう声明を出しました。当のモデルの美人被告は「他のイスラム教徒に対する規範となるのなら、鞭打ちは公開の場でおこなわれなければならない」と主張。公開羞恥の刑まで求め、今後の推移が注目されています。
一方で、
判決の見直しも検討されているようです。

鞭というのは、日本においては昔から日常生活とは無縁のアイテムで、乗馬や家畜用に使用される鞭がライフスタイルに根ざしている西欧社会と異なり、我が国で伝統的に刑罰として使用される小道具は縄(緊縛)でした。ジャパニーズ・ボンデージと言えば麻縄を意味するほどの代名詞になっています。
性行為とは別に、娼婦に鞭打たせる文化が英国には古くからあり、鞭は西洋的とも言えるし、エキゾティックな魅力があると言えます。
それだけに、鞭の存在や言葉自体が非日常性を浮き彫りにし、独特のファンタジーやエクスタシーを抽出しているように思う。
SMのことは何も知らなくても、そこに鞭があれば、好きな人を打ってみたいとか、好きな人から打たれてみたいとか、あるいはその両方を願ってしまうのではないでしょうか。
男でも女でも健全な精神と健康な身体を備えていれば、生身の人間を相手に鞭で打ったり打たれたりしたいというのは、自然な願望だと言えないでしょうか。
言えないかな、フツー ^^ そこまで思うのはやっぱりアブノーマルか...
だけど、もし一本鞭を持っていて、ベッドルームで毎晩、枕を相手に命中させるのが趣味という人は、それこそ変態だと思う。いい意味で。
( ↑ 実は最近やってたりする)
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鞭で打たれる時

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