著者がバレエダンサーということもあり、タイトルに惹かれて読んでみましたが、これは大当たりでした。
ひと言で説明するなら、バレエ・ダンサーがアナルファックに目覚めた話。ただそれだけのことなのに、ぐいぐいと、まるで自分の肛門に異物が挿入されるように引き込まれてしまう。おそらく自己の体験をもとにしたノンフィクションなのだろう。
著者はニューヨークシティバレエ団で踊っていた女性。ダンサーでありながらもニューヨーク・タイムズ紙に書評なども執筆していたぐらいで、彼女の文章はとても格調高く、なおかつエロティックに読ませるという秀逸な内容となっている。ダンサーとしての
実績も素晴らしいものがあります。
何を隠そう僕も実は30代の前半頃まで、クラシックバレエを習っていたことがあります。週1回から3回程度のレッスンを受けていて、舞台(発表会レベル)に立ったこともあるので、バレエの世界のことは多少知っているつもりです。(あくまでもつもり)
僕のように才能のない者は、ターンや習った振りが出来るようになるまでには時間がかかります。どんなに練習してもいつまでたっても出来ないこともあるし、ほとんどのテクニックは凡人には一生かかっても出来ないのかもしれない。それでもいつかは出来るようになると信じてひたすら稽古に励む日々。これはもうほとんど宗教の世界とも言える。上手に踊れないのは自分が悪い。というか、神様の試練と解釈してストイックに厳しいレッスンに耐える。殉教者のような気持ちになる。神様、つまり振付師を信じて健気に服従せざるを得ない。その奥には純粋にマゾヒスティックな心理があったようにも思います。
作品の中にはこんな表現もありました。
「どれほどの性欲を抱いたら神の怒りに触れるのだろう」 一瞬でも思い通りの動きで踊れた時の快感は、セックスにも勝るとも劣らない快楽を与えてくれる。観客はダンサーの動きにウットリしますが、ダンサー自身はそれを表現している時の身体的苦痛と快楽を、同時多発的に味わっているわけで、とてもSM的な美学がそこにあるように思いますね。公開羞恥という面もあるでしょう。スタジオで一人で練習している時も自虐的に楽しいのだけれども、大勢の人に見られているという事実は大きい。
自分の欲望と真摯に向き合い、神と対話しながら歩む快楽と苦痛の道のりが描かれています。
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