
ある読者から「奴隷が女王様の前で全裸なのは当たり前です」というメールを頂きました。真摯なご意見ありがとうございます。
若い頃に僕がSMクラブで裸になるのにためらいがあったと
先日のエントリーで書いたことに対するご意見で、ごもっともだと今は思っています。
それでも、やはり恥ずかしいからイヤだなぁという感情は残るのです。だからこそ楽しいみたいな矛盾した気持ちになるのであって、当然視することには、やや懐疑的にならざるを得ません。
羞恥心にも人それぞれ
個人差がある と思う。
CFNMに萌えるかどうかも、羞恥心の程度差なのだろう。
初SMの時、女王様から
「恥ずかしいのが好きなんでしょう?」と聞かれました。その時の口調が優しかったこともあって、バカ正直に、
「いやぁ、本当のところあまり好きじゃないんです」と言ったら、イキナリ平手打ちされた。
ナニ 寝ぼけたこと 言ってるの!恥ずかしい姿を見られたい変態マゾです って大きな声で言いなさい! ときたもので、態度が豹変したのでビビりながらも「ばかばかしい!」と思ったものでした。
それでも、
女王様から理不尽なことを言われて命令に従うことに異存はなかったので
( ↑ こういう言い方からしてすでにエゴマゾっぽくてけしからんです、ハイ、すみません ^^) 不本意ながら言われたとおりにしたけれど、最初はそんな台詞を真面目に言えるわけがないじゃないかと本気で思っていた。若かった。というか理性が残っていたのだろう。
しかしSMというのは、実際にやってみないとわからないもので、実践してみて初めて知る快楽のツボがたくさんある。言ってみたら意外と気持ちよかったわけである。
大きな声で言わされる恥ずかしい台詞には、舞台で見事なターンを決めた時にバレエダンサーが感じるのと同様のカタルシスを呼ぶ力があったのだ。
理性が吹っ飛ぶような。
とはいえ、SMクラブに足を運んでおきながら、僕にはまだ変態の自覚がなかった。
「ここにいる今だけ変態で、普段はノーマルだもんね」 などと都合のいいこと思っていたのだが、結局は一瞬でも変態であれば、もう変態なのである。
わざわざお金を払ってまで鞭打たれに来ている時点で、人生終わっているのだ。
なにもそこまで悲観することはないじゃん (。。)☆\バキ 僕は永遠の変態だったことにその時は気づいていなかった。
変態は恥を忍んで生きるべきなのかもしれない。
子どもの頃から抱いていた自分は人と違うという劣等感が、そのねじ曲がった自我意識がSMプレイで解放され、少しまともな人になれたような気がした。
(気のせいかもしれないが) 人は皆、程度の差こそあれ変態であり、それを自覚することで大人になるのだろう。
開き直って変態であることに誇りを持って生きていこう! 羞恥心を忘れずに。
そのようなことを、SMのセッションを通じて僕は学んだような気がしている。
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■ CFNMの起源■ CFNM■ 着衣男性全裸女性
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鍵コメで往年の「SMコレクター」ファンから鋭いご指摘頂きました。ありがとうございました。
これは僕からのプレゼントです。↓(掲載詩不明ですがおそらくコレクター)

キャプション「変態を生きる」に相応しい写真だと思いましたが、いかがでしょう?
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「変態であることに誇りを持って生きていこう!」
素敵なお言葉だと思います。
「道を外れたんじゃない。道が曲がってたんだ。」
コレ、僕の言い訳です(笑)