
西欧では歴史的に
CFNM文化が根強いということについて先日触れましたが、
「頭にパンティーかぶるの図」 というのが、日本では昔から人気があったように思います。
興味深いことに、ネットでよく見かける西洋のBDSMシーンではM男がパンティーを頭にかぶるという場面にほとんどお目にかかりません。日本独特の文化なのでしょうか?
これは惨めです。情けなさを通り越して滑稽ですらある。日本男児にあるまじき恥辱ですが、それ故に、いかにも日本らしいマゾヒズム願望にも思えます。昔のSM雑誌においてはM男グラビアの定番的なスタイルでした。
頭にかぶらないまでも、好きな女性の下着って、
絶対に欲しい ですよね。
特に、しばらくお履きになられていて(1日以上は勘弁して欲しいけど)、脱ぎたてのパンティーは芳醇でワインのように香しい。

なぜ海外の Fem Dom 関係でM男はパンティーをかぶらないのでしょうか。
また、それとは少し話がズレるような気もしますが、海外では緊縛で凝った縛りもみかけません。もうひとつ、ローソクなどの使用頻度も低いようです。日本ではSMプレイの代名詞的アイテムになっているにもかかわらず。
この背景には日本と西洋の芸術文化の歴史の違いがあるような気がします。
西洋で芸術(art)と言えば、生活実用品とは切り離され、もっぱら「観賞する」ためだけに制作されるアートとして発達しました。彫刻や絵画などがその典型ですが、日本のクリエイティブな活動の多くはスキル(skil)、つまり暮らしに密着した実用品から生まれていますね。浮世絵は絵はがきやパンフレットみたいなものでした。陶磁器や漆工芸品も多くは茶の湯の世界で、お茶会で「使用」するのが前提で作られたものです。和歌などは現在の手紙やEメールみたいなものですし、泥臭い生活に密着したところに日本の芸術的な営みがあったわけです。

ローソクは日本の暮らしに根ざした小道具で、縄と同様にSMプレイの重要なアイテムとして人々の心の中に定着したのでしょう。だから下着をSMプレイに使うことにためらいがなかった。西洋人はSMをアートとして見る時、実用品であるパンティーやローソクを使うことに抵抗があったのだと思われます。これはいいとか悪いの問題でなく、美意識の違いとも言えるのでしょう。

さらに日本では、西洋に比べて母親と息子の結びつきが強いといわれています。それは、母親が息子を保護し、世話し、同時に支配し、呑み込んでしまうという関係です。
ユング はこういう支配者としての母親を、
グレート・マザーと呼びました。女性の子宮を象徴する衣類ともいえるパンティを頭にかぶることは、「母親的な支配」という意味を無意識に感じているわけです。
そして、その母の子であるM男は
グレート・マゾーという。(ウソです)
ただ確実に言えることは、ユングの言うところの普遍的無意識、あるいは集合的無意識というものが、パンティーを頭にかぶりたいという現代人の欲求として現れていることです。
そしてこれは
子宮回帰願望とも密接に結びついており、
すなわち 顔面騎乗願望 と重大な関連性があると断言できます。
パンティーを頭にかぶりたくなるのは人類が太古の昔から夢みてきたことだったのです。
太古の昔にパンティーはないって (。。)☆\バキ 
*このエントリーはちょっぴりFemDom?のパンティーという記事にコメントした際、Kaiさんとのやりとりを参考にさせて頂きました。
現在SMカテゴリーで33位。

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そこまで思いつきませんでした。
日本のSMの緊縛は、海外でも有名なようで、ある体験談に、Japanese SHIBARIと出てきました。スキヤキ、ゲイシャと肩を並べる日本の代名詞ともいえるものかも。