
昔と比べてポピュラーになった顔面騎乗とはいえ、それはM男にとっての話であって、女性には依然として不可解なようです。
ノーマルな男性による、ちょっとエッチな願望であれば、「しかたないわねぇ^^」みたいな感じで、おそるおそる顔の上に座ることはできても、もしその彼氏が真性ドMで、マジでリクエストされ、死ぬほど圧迫して欲しいと懇願されたなら引いてしまう可能性がある。
愛する彼氏の少し変わった「趣味」程度の認識では、
普遍的な文化芸術としての顔面騎乗 を理解するのは難しいかもしれない。
口に出してこそ言わないが窒息寸前まで苦しみ、「落ちる」瞬間の官能を求めるアブナいマゾヒストは多い。
というか、マゾヒズム的にはそれが王道とも言える。
もしその息苦しさが快楽の本質であるならば、圧迫されるのがお尻でも胸でも、窒息感に違いはないのでは?という趣旨のコメントが寄せられました。
>大きなお尻で顔中を埋め尽くされるのと、
>ふくよかな胸に窒息するかのように顔をうずめるのと
>共通項って存在しますよね??
これには正直意表をつかれました。とてもいいご質問だと思います。

(前のエントリー「女子高生の顔面騎乗」のコメントでたいへん有意義なやりとりをさせて頂きました。この場を借りてお礼申し上げます)
コメント欄の返信ではいいたりなかったので、ちょっと補足させて下さい。
僕は胸で圧迫されたいと思ったことはありません。(されても文句は言いませんけど ^^)
男として「巨乳がどうのこうの」といったこだわりもなく、ただ子どもじみた憧れみたいなものぐらいでしょう。
母乳で育ったという記憶もあやふやですが(そうらしいが)、自分のM性に女性の胸はあまり深く関わっていなかった。
Fem-dom的な象徴として、女性の身体の一部として崇め奉るという意識であり、沼正三の言うようなスクビズムとは対極の位置にあるのだと思います。
だからこんなことしちゃ、↓ 絶対にダメね
おそらく、ほとんどのマゾヒストにとって、胸と尻では雲泥の差があるのではないかな。
このことを端的に説明するのに、春川ナミオのインタビュー記事から引用してみたい。
ある雑誌の取材に彼は次のように述べています。
オッパイはお母さんになるから、オッパイやったら何かこう・・・
甘えたくなる。

でも僕の場合、お尻はお母さんじゃないんですね。
もっと 高貴で神秘的 なものです。
お尻の奥には何があるんだという謎めいた場所。
ー春川ナミオー
「お尻倶楽部」(1998年1月号)のインタビュー記事から
それがどうした? ・・・って言われそうですけど ^^;;;;
僕自身、上手くは説明しきれないというのが、正直なところです。
また、例えそれが出来たとしても正解とは限らない。
顔面騎乗をたんなるSMのツールやカテゴリーという見方をされている人には難しいでしょうね。
ただ一つだけ確実に言えるのは、顔面騎乗の宇宙は、果てしなく広く、深い・・・ ということです。
【関連エントリー】
■ 胸かお尻か?■ 顔面騎乗の社会的評価
m(_ _)m
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胸とお尻が、いかに“似ているようで非なるものか”
ということが、とてもよくわかりました。
最初の方に、“もしも彼が真性ドマゾで‥引かれる”とありますが、
私の場合は、マゾをまんまと悦ばしてしまうことにこそ、
躊躇いがあります。(例え自身が愉しめることであっても)
もちろん、それは私がいわゆる“普通”じゃないから、
でしょうけど。^_-
もしかすると、私がマゾに対して顔面騎乗を“ご褒美”的に思うのは、
多くのマゾが顔騎を好んでいるからかもしれません。
同じように、鞭打たれることが大好きなマゾには、
(これほど鞭打つことが好きな私でも)打つのを躊躇います。
苦手なことこそ与えたい、それを苦手であるにも関わらず、
二律背反的理由であれ、隷属的理由であれ、逃れられない、
そんな様が何よりもサディストの私を悦ばせるのです。
(二律背反を含めて好きだと言われれば、どうしようもなく、
そんなわけで、マゾ以外を虐げるのを好むのかも。)
と、話がずれてしまい大変申し訳ありません。
本当に、楽しいやりとりをありがとうございます。^^
春川さん、いいこと言いますねぇ。(笑)
女性崇拝的嗜好とマゾ的嗜好はまた別物と思ってましたが、
やっぱり共存することが多いのかな。