
今や「寝取られ」がブームなんだとか。
個人的にはあまり興味がないのでこれまで積極的には取り上げてこなかったテーマですが、そうも言ってられない状況になってきました。
関連のサイトや
ブログ 、そして画像掲示板にも
スレッド が立ち上がり、ネットでアダルトコンテンツを配信している
DMMから
ソフトも発売されています。専門の動画サイトもあるという。
マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」や、喜国雅彦の「月光の囁き」、最近では
サタミシュウの小説の中でもモチーフとして取り上げられていましたが、一般的な関心はそれほど高くなかったように思っていました。
もちろん従来から浮気や不倫の背景には、当然のように自然現象としては存在していた。SMがライトな感覚で流行するにつれて、関連するジャンルとして注目を集めてきたようです。
嫉妬に身を焦がす。
しかし潜在的にそれを望む心理はマゾヒズムのオプションのようなもので、ちょっと質が違う。
わざわざ面倒くさい手間をかけ、そういう状況をつくりだしてまで「寝取られ」たい願望というのは、ノーマルな人には不可解だろうし、アブノーマルな人々の間においてさえ難易度の高い領域です。
まず、寝取られる「相手」がいなければなりません。
独身者や彼女のいないニートにも妄想としてこの願望がありえるのだから、その倒錯率は普通の人はもとより、ヘンタイの理解をはるかに越えているような気がします。
一口に「寝取られ」といっても、これまたいろいろなパターンがある。
沼正三が「ある夢想家の手帳から」の中で「三者関係」として様々なケースを定義しています。
最近、M破門中さんのブログ
煩悩即菩提 でも関連項目が紹介されていました。
沼正三によれば、一人の女は同時に二人の男を愛することは出来ないけれど、一人の男と一匹の犬を愛することは出来る。この犬になろうとするところが三者関係の代表的なマゾヒズムです。
他にも女主人がレズの場合や、別の奴隷を登場させたりと、キャラの性別や属性(SかMか)、二者間の関係(対等 or 従属)などで複数の、複雑なバリエーションがあります。
その中で夫婦間における優位結合としての標準形式が、昨今のブームになっている「寝取られ」系なのでしょう。
SMクラブなどの「ダブル女王様」というのもある種の三者関係ですが、寝取られとはまた意味が少し違う。
例えば、女王様が奴隷を別の女王様に貸し出すというパターンならば僕にも理解できます。
しかし女王様が別のM男奴隷を登場させるのは抵抗がある(M女奴隷ならいいんだけど)
ところが、女王様が他の男奴隷あるいは彼氏を登場させる形式において、セッションや彼氏とのセックスを見せつけたりするのはまだしも、
その別のM男や
彼氏に奉仕(フェラチオとか)させるような状況になってくると、
それだけは勘弁して! という世界。
いくらなんでもそこまではできないよ。だからヘタレだと言われても反論しないけど、一人の女王様に忠実に従属する「二者関係」で完結していたい。
ギリシャ人はいらない。
この部分の気持ちだけを取り出せば、一般の夫婦や恋人同士と同じ心理でもあり、マゾの中でも比較的ノーマル(?)と言えるような気がしています。
コキュやcuckoldという属性は、僕のような仮性Mにとっては難しい。
別にマゾヒストでなくてもこの状況に萌える感覚は、SMとはまた別のものなのかもしれません。
マイノリティーであるマゾヒストだけでは、昨今の寝取られブームを盛り上げることはできなかったでしょう。
同性愛やスワッピングなどの
隣接するカテゴリーからの参入(乱入?)と、
出会い系などネット社会の成熟化が第三者の発見を容易にし、以前よりはお手軽に三者関係を仕込むことが可能になった。
ノーマルだった人々が「寝取られ」に萌えることを知り、潜在するマゾヒズムが覚醒するというケースもあったかもしれない。
ともに少数派であったMとコキュの連立によって「寝取られブーム」に勢いがついているような気がします。
春川ナミオもこのテーマで作品を描いてる。どちらが夫で、愛人なのでしょうか?
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私の大のお気に入りです。(直接的な性的描写は含みませが)
例えば、本来のswappingの趣旨とは異なるけれど、
奴隷を交換するっていうのは、ちょっと面白いかも。
私だからこそ虐げられても構わないと思っている奴隷が、
私の絶対的命令によって他の女性に虐げられ、耐える姿は、
その苦悩の表情を想像すると‥昂ります。笑