イブさんの緊縛ショーを見た。今年2回目だが、相変わらずの人間国宝級パフォオーマンスに魅せられてしまった。歌舞伎や能で本物の人間国宝の舞台を何度か観たことがあるけれど、マジでそれらに匹敵する芸術性を感じる。
イヴさんの縄師としての師匠は
雪村春樹という人で日本を代表する緊縛師である。近代和縛の創始者である伊藤春雨の流れを継承する数少ない巧みの巨匠だ。ちなみにイブさんは明智伝鬼や濡木痴夢男ら一流緊縛師の現場で正当派DNAを数多く受けついでいる。
だからというわけでもないのだろうが、イブさんの緊縛ショーを観ていると「日本人で良かった!」と思う。おそらく西洋人がこれを観たら日本の伝統芸能と同じ感銘を受けるに違いない。
何が違うのか、それは上手く説明できない。観ないとわからないですよ。しかし、おそらく観てもわからない世界なのかもしれない。僕はただ感動しているだけで、何もわかっていないのだ。
なんとなく言えるのは、西洋のボンデージ・アートが娯楽性、つまりエンターテイメントに重点があるのに対して、日本の緊縛には古来からの武術(マーシャル・アーツ)的な意味合いがありそう。つまり自己鍛錬という別の目的がある。お客さんに楽しんでもらうホスピタリティ精神は希薄で、己のイキザマとしての迫力がイブさんには感じられた。
縛り、縛られるという行為は、そう簡単に素人がやってはいけない。趣味でやるには恐れ多い。
そんなことを感じた。

最近はビックサイトで行われたデザインフェスタにも展示出品される「緊縛ショー」。
ひと縛り500円で来場者が女王様に縛られるという趣旨のイベントに代表されるように、間口が広く、敷居が低くなってきている。それがいいことなのかどうかわからないけれど、より多くの人に文化的なタブー意識を取り払ってもらい、緊縛美やその芸を知ってもらいたいとは思う。
ところで、イブさんのショーのその後で、唐突に暗黒舞踏が始まった。
暗黒舞踏と言えば、20年近く前に観た大野一雄の公演以来で、実に久しぶり。こちらのほうも相変わらず、よくワカラナいのである。
「何か」が表現されているのだろうな...ということだけはわかるのだけれど、「それ」が何なのかがワカラナイ。しかし意味不明ながらも、大野一雄と同じくらいのインパクト、感動があった。これは凄いものを観てしまった、という感じ。
何が凄いのか、これまた上手く言えない。
ただ、ダンサー紅月鴉海さんの鍛え抜かれた身体そのものに作品性を感じた。普段の日常生活での鍛錬がなければ、あのような動きは生まれないのだ。ここにも自己鍛錬がメインとでもいうのか、観客へのサービス精神があまり感じられない。「わかる人だけ、わかって下さい」みたいな。
そして肉体の動きがつむぎだす精神の美学。感動的だった。
緊縛ショーと暗黒舞踏。意外な接点を見たように思った。
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■ 緊縛の芸!飛室イヴ女王様 ■ 伊藤晴雨■ 椋 陽児

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私も緊縛がとても好きで、一方でお茶をたしなんでいるのですが、緊縛にお茶の情緒を感じるんですよね。
(ちなみに鞭はピアノを連想させます。)
茶道というのは、御道具やお手前をただ観賞するだけでも
(つまりアートとして)十分愉しむことができますが、
体得する中で感じる文化的側面、精神性、というか本質にこそ惹かれます。
それを茶道における“道”とするのなら、私は未だ緊縛における“道”を残念ながら未だ知りません。
恐らくそれも体得する中でこそ知りうることなのでしょうね。縄を学びたいと思うばかりにございます。