
鞭で打たれるというのは、今の日本ではやはりたいへんなことだと(個人的には)思う。
実際に、SMプレイ以外ではあり得ない仮想現実ですが、イギリスではそうでもなかった。
英国のパブリックスクールでは、最近まで体罰としての鞭打ちが公認されていましたし、今でも黙認されている現状がある。
海外には鞭打ち小説、あるいはスパンキング小説(お尻ぺんぺん小説?)という人気ジャンルがあります。その嚆矢は英国ヴィクトリア朝時代に大量に出版された鞭打ちをテーマにした小説だと言われている。風俗としても娼婦に鞭打たせる行為が流行していました。
スティーヴン・マーカスの
「もう一つの ヴィクトリア時代 性と享楽の英国裏面史」(中央公論社/金塚貞文訳)によると、この時代に書かれた鞭打ち小説の多くでは、打つのは女性で、打たれる側は必ずと言っていいほど男(少年)です。打たれる側が少年として描かれることが多いのは、打つ女性がこの場合、母親の代理的存在となるからだということらしいです。
継母であったり、女家庭教師、女教師、女中、小間使い、伯母などで、面白いことに本物の母親は滅多に登場しません。妻や愛人、娼婦がそういうロールプレイを演じても、母親自身が息子を咎めるというのはない。それはある意味で当たり前であり、セクシャルでもポルノグラフィーとしても成立しないからでしょう。

とにかく、
鞭打つのは女。
打たれるのは男。 20世紀のBDSMシーンでは女性が鞭打たれるイメージが主流であったのに比べると、これは著しい特徴だと思われます。サドの小説でも、打たれるのはたいていが女性たちでした。
(サド自身が好きで鞭打たれることはたまにあった)
成年男性やいい年したオヤジが少年(少女)のフリをする、あるいは完全に女装して鞭打たれたりもする。
著者のマーカスは「男性的な役割を担う女性が男を鞭打つ」と解釈し、「ホモセクシュアルに対する妥協」であると分析しています。その是非はともかくとして、これはこれで(意外で?)興味深い指摘でした。
これらの小説群において、父親や男の教師が鞭打つシーンを見いだすことが出来ない事実の方が、僕には注目に値すると思うのですが、いかがなものでしょう。男が喜ぶポルノグラフィーとして見るならば、男が女を鞭打つシーンが少しはありそうなものだと思うのですが...
日本では小道具として鞭は登場しないけれど、スパンキングという行為は昔からわりと日常的でした。子どもの頃お母さんにお尻を叩かれた経験のある人は、団塊の世代までは多かったと思われます。それがトラウマとなってスパンキングに傾倒してしまうのは、ヴィクトリア朝時代の心理的メカニズムと同じかもしれません。
しかし、日本でもお仕置きされるのはわんぱく坊主の男の子で、女の子がお尻ペンペンされることは少なかったような気がします。お母さんが息子のお尻を叩くのは正常で、お父さんが娘のお尻を叩くのは異常なのでしょうか。
(お母さんが娘のお尻を叩くのはいい?)
もし僕がお父さんだったら、わが娘にお尻ペンペンしてもらいたいんですけど。(。。)☆\バキ)

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