伝説の女王様
「戦後、女と靴下は強くなった」という有名な、そして今はすっかり忘れ去られてしまった表現がありますが、その意味するところはともかくとして、戦前の女性は弱かったのでしょうか?
国威宣揚の名の下に、本来はオトナシかった大和撫子(ヤマトナデシコ)が国防少女となって鬼畜米英と戦う。
そんなイメージをも抱くのですが、戦後生まれの僕にはどうもピンときません。
卑弥呼やクレオパトラなどのような権威としての女王様ではなく、性的な、いわゆるSM的女王様イメージの萌芽は、いったいどこらあたりに求められるのか。
少なくとも戦前には、「女性が男性を鞭打つ」なんていう姿は誰にも想像できなかったと思います。
昭和の初期には谷崎の
「痴人の愛」がヒットしていたとはいえ、M男に育てられる従順な女性からスタートしたナオミ的キャラでなく、天性のS性を備えた女王様のイメージは、誰かの想像力の中にあったとしても、現実には存在し得ていなかった。
ただ、敗戦の混沌の中から、まだその言葉すらなかった「SM的なる」女王様像が、戦勝国である欧米の影響を受けつつ、徐々に形づくられていったのではないかとは推察されるのです。

1954年(昭和29年)の「奇譚クラブ」7月号に、春日ルミという伝説的な女王様がグラビアを飾ります。
日本のメディアに初めて登場した女王様的キャラクターとしては一般的にこの人が知られています。
それまでは、海外マゾ小説の挿し絵や、須磨利之の手によるイラストなどで女王様的イメージがかろうじて描かれてはいましたが、日本人女性によるビジュアルな女王様像というのはこれが初めてでした。
今からみると、下着姿でケインのようなものを持って立っているだけの、どうってことのない図。
だが「奇譚クラブ」の読者にとってはこれだけでもう充分。すぐ次のページには、
黒タイツ姿で首輪を付けた男性を足蹴に、そして男が縄で縛られその上に座っている
彼女の写真が続きます。
典型的な大和撫子風の顔立ちの中に(ちょっとケバいような気もするんですけど)明らかにみてとれるサディスティックな表情は、それまでフラストレーションのたまっていた「奇譚クラブ」のM読者たちにとって垂涎の的となります。
西洋的なミストレスではなく、初の日本人女性による女王様の降臨は大きなインパクトを当時の日本に与えました。
春日ルミはその後もしばしばグラビアに登場し、日本家屋を舞台に当時の現実味ある(少し貧乏臭い)背景の中で女王様を演じ、Japanese Female Domination のイメージを定着させていくのです。

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■ ベティ・ペイジ
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でも今の日本のSMの姿を鞭フェチM男的視点で見ると、ここからの『進化の過程』のどこかでおかしくなっちゃったという気がします。