
浅田真央選手には顔面騎乗だけに期待が集中しているわけではありません。
誰だって彼女に一本鞭を手渡して「僕を打って下さい」と、スパッと言ってみたいですよね?
しかし、これは真央ちゃんの気持ちを無視した行為であり、やってはイケナイことです。
↑ フツー誰もやらないって (。。)☆\バキ インタラクティブなSMを考える時、できることなら、お互いが楽しみたいもの。
マゾヒズムは「苦痛から快楽を得る」とよく言われますが、これは自家撞着であることに気づく。
つまりそれが最終的に「快楽」であるならば、その苦痛とは苦しみではない。
一歩譲って、最初は確かに痛くてイヤだったけれど、だんだんと調教されて快感を感じてしまうというケース。
結果的にプロセスとしてそれは快楽原理に取り込まれてしまいます。
ここで見方を変えて、サディズムの視点から考えてみましょう。

真央ちゃんはS女とはいえ、優しい女の子ですから、相手に苦痛を与えるのを本当は望んでいません。
でも、相手をリスペクトし、M男が望んでいるのであれば、しぶしぶと鞭で打ってくれるかもしれない。
*実際に真央ちゃんはバンクーバーで打ってくれました。
↑ ウソです そして相手のM男が喜んでいるのがわかって、安心する意味で鞭打つことの喜びを知る。
この場合「相手に苦痛を与える」ことに快楽を感じているのではなくて、
「相手に快楽を与えていること」に喜びを感じているわけです。奉仕プレイ。
ここにもS側が持つ矛盾が発生しています。
もちろん真央ちゃんも成長して、相手が喜ぶ以上の限界を越えた苦痛を与えることに快感を得るところまでサディズムが発展するかもしれません。
M男側も、真央ちゃんが渋々と打つのでなく、本当に楽しんでいることがわかれば、自分の限界を越えた苦痛に耐えるところまで成長する可能性が出てくる。
つまり本当は苦しいのだけれど、真央ちゃんが楽しんでいることで快楽を得る。
ここまでくればMとしては立派と言えるかもしれませんが、最初の自家撞着のひずみはそのまま残っています。
つまり最終的には苦痛となりえない。
真央ちゃんとしては、力いっぱい打つことができても、相手が喜んでいるなら不満を感じるところまでS度がエスカレートしても、苦痛を与えているのか快楽を与えているのかわからなくなっていく。
どっちにしてもSMが本来的に背負う二律背反性が継続します。
二人の関係性が深まれば、どこまでが合意なのかをきちんと定義して、両者がもっとも楽しめるラインを見定めてセッションを行うことができるでしょう。
オリンピックの成績のことばかりでなくて、M男との関係のこともきちんと考えて欲しい真央ちゃんです。
・・・・ m(_ _)m
↓

- 関連記事
-