フェティッシュバーなどでは、接客してくれるミストレスや同席するお客さんなどに対して、自分が「SかMか」というようなカミングアウトがよくなされます。
以前はこれが苦手で、
「そ~んなことどっちでもいいじゃん (>_<)」 などと思っていたものですが、最近は少し慣れてきて、僕の方からも訊いたりもするようになった。
見た目にはS女かと思っていたら、聞いてみるとM女だったり、温和でおとなしそうな男性が、バリバリのドSだったりで、これがなかなか面白い。どっちでも逝ける人もいるしね。
SM官能文学の巨匠、団鬼六は「鬼六」というペンネームからも鬼畜系のこわ~いS男かと思っている人が多いようだが、実際会ってみると「やさしそうなおじいちゃん」という印象。
ご本人も本格的なサディストではないとおっしゃっておりました。
前にお会いした時は、闘病中だったこともあってか、この人には多少Mッ気があるような気がした。というか、著書の
「SかMか」では、自分の性癖を「通俗的な助平SM」とまで断言していた。
まともな人ならばSもMも両方持ち合わせており、そのバランスでSかMかが決まってくる。
だからもちろん「両刀づかい」もアリです。
一方で、自分がどちらなのかわからない人もいる。
ある意味で性同一障害のように、何かのきっかけで目覚めたり、ずっと無自覚なマゾヒストやサディストという人たちも。
さらに言えば、変態的、性倒錯的なマゾヒズムやサディズムだけでもない。
昔は「SM=ヘンタイ」だけの方程式しかなかった。
良識ある人たちにとっては、口に出すのもおぞましい、忌み嫌われていた世界。
ちょっと古い話になりますが、8月の末、映画
「花と蛇3」の公開初日、新宿の
アマルコルドでのイベントでのこと。
映画の縄師である有末剛と小向美奈子の緊縛ショーには所用があって間に合いませんでしたが、深夜12時すぎに立ち寄ってみると、お店が入っているビルの入り口前で有末さんが、まるで「タコ焼きさん」のように、自分の著書やDVDを売ってるではありませんか。

そして道行く人々も、その「緊縛指南書」の類を、お祭りの金魚すくいでも眺めるかのように気軽に見て行きます。
「私も彼氏に縛られてみた~い」というノリで買っていく女性客もいました。
このような光景を目の当たりにすると、SMというものの定義や社会的評価、人々の感じ方なども多様化し、新しい価値観、趣味、文化という位置づけになってきているのだなということをしみじみと実感してしまいます。

僕には女性を縛る趣味ないけど、有末さんとお会いできた記念に「緊縛の心と技」を購入! ミーハーだなぁ^^;;
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