世界保健機関 (WHO)の国際統計分類(
ICD)によれば、マゾヒズムは未だに精神疾患の一つとして見なされているのだとか。
時々、自分は病気なのかもしれないと思うことはある。(いろいろな意味で)
風邪とか頭痛ぐらいなら、おとなしくしていればそのうち治るだろうというのがあるけれど、マゾヒズムに関しては、子どもの頃から一生治らない「ビョーキ」だと思っていました。
昔はそれが「異常」で、つまり普通じゃないから自分は特殊なんだというコンプレックスが強かった。
今この歳になってみると、「異常」というほど深刻ではないにしろ、やはり「ビョーキ」なんだろうなぁ...とは常々思っているわけです。
女性がMの場合、それは「異常」とか「ビョーキ」というカテゴリーにはなりにくいように思います。
失礼な言い方になってしまうのを恐れずに言えば、それは女性性の一部であり、どちらかといえば「フツー」の領域。
男の場合にのみ「アブノーマル」とか、「ヘンタイ」と言われてしまう。
S男性は不思議とあまり変態呼ばわりされない。基本的人権も保証されていますね。
マゾヒズムはサディズムより、矛盾や倒錯性が大きいという受け止め方をされていると思われます。
19世紀から20世紀にかけて性的倒錯がひろく精神病みたいに認識されていたことも理由の一つでしょうが、社会性の強い男の場合、この種のレッテルを貼られることは致命的であったため、秘匿性が高く、目立つことは極力避けられていた。女装趣味やホモセクシャルなどもその一つでしょう。
だから表沙汰になることは滅多になく、表面化した場合のインパクトも大きかった。
僕自身、M男は超少数派だとずっと信じてました。
しかし、実はそうではなく、無自覚な人も含めてその数は意外と多いことがわかってきたし、存在も知られ、認知されてきている。
ゲイや性同一障害などと同じく、病気でも異常でもなく、個性の一つとして受け入れてくれる人も増えてきました。
昨今のSMブームや大衆化により、息苦しさは少なくなってきたような印象ですが、僕としては社会的にそれほど認められなくてもいいかな、とも感じています。
そんなに、みなさんに無理してわかってもらえなくてもいいんです。
みんな違って、みんないい。 自然に受け入れてくれるほうがいい。
もともと全てを受け入れるなんて無理だし、「あんた、ちょっと変態?」みたいな目で見られている方が、心地よい感じがするのは、やっぱりビョーキだからでしょうか。
近年、デンマークではマゾヒストの人権に配慮し、マゾヒズムを精神疾患とはみなさなくなったそうです。
ジル・ドゥルーズの批判にもかかわらず、ICDにおいてはサディズムとマゾヒズムは相関関係にあるという考えを背景にして、両者は今なお「サドマゾヒズム(F 65.5)」という疾患名に包括されています。

m(_ _)m
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サドは打たれ弱い、マゾは打たれ強いという見解ですね。
個人的には、サディスト男もマゾヒスト女も病気ではないかなと。
先進国全域に蔓延している病(笑)
その反対も病気(笑)
ある一定の社会的に認められているからといって、それが病気じゃないとは限りませんよね。
国単位で認めることができる民族の精神病理について研究している機関が国際社会では存在しているそうですから、社会的に変態呼ばわりされない=変態ではない、は早急だと思います。
変態を変態だと思わない社会だからこその変態社会、といいますか(笑)