この事件で広まったバカみたいな迷信は、
「女の人を鞭で打つような小説を書くのは犯罪だ」 というようなことです。子ども心に当時の僕はそう思いました。
いやつまり、子どものくせに僕はそういう迷信には懐疑的だったのです。
サドはいいこと書いてるのに、なぜ悪者になるのか? と思ってました。
(実際に悪者にされたのは出版社と翻訳した澁澤龍彦)
朝日新聞 2010年5月28日付夕刊
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昔、父の書斎に
「チャタレイ夫人の恋人」の初版本がありました。
小学生の頃、母から「これは発禁本だから読んじゃだめ」というような話を聞いたことがあり、強烈な記憶に残っています。
そんなこともあって、サド裁判の事件(
悪徳の栄え事件)も、マゾとかサドの言葉はまだ意味不明ながらよく覚えています。
サドの著作を読んだのは、実はつい最近になってからなのですが、僕はマゾだから、サドの文学的な功績を評価はしても、その作品を読む気にはなれないでいました。
(というか、マゾヒストは読まなくてもいいよねって思っていました)
偏見や先入観と言われても仕方がないけれど、おそらく一般の人も、変態でない人(つまりSMに興味のない人々)だってそう簡単にサドの「悪徳の栄え」を読もうとは思わないんじゃないかな。
僕が初めて読んだのは2年ほど前で、ちょうど澁澤龍彦没後20年ということもあり、美術展やイベントなどのドサクサにまぎれてようやく読んでみたのでした。
ずっと気にはなってはいたのに、読まなかったのは、サド裁判の弊害だったと思いたい。
今さらではあるけれども、もっと早くに、こだわりのない気持ちで読んでおけばよかったと、思います。
正直なところ作品的に僕の好みのタイプとは言えませんが、想像していた以上には面白かったし、ある種の感動があったのも事実です。
なぜこれが裁判沙汰になるほど騒がれたのか本当に不思議に感じます。
内容ではなく「騒がれた」という歴史には、意味があったのでしょう。
児童ポルノがらみで表現の自由に関する報道をみていても、芸術か猥褻かという議論があまりにも虚しく響く今、
再読の価値はあるでしょう。
そして、ドSとかドMとか言ってる人はともかく、SMについて何かを表現したり考えたりしようとする人は、読んでおいて損はない。
ちなみに「毛皮を着たヴィーナス」が日本で初めて出版されたのは昭和23年。戦後の混乱期で裁判どころの騒ぎではなかったのでしょうか。
チャタレー事件はその5年後でした。
「毛皮を着たヴィーナス」は昭和32年に佐藤春夫訳で再び発行され、これで少し有名になりましたが、
女性が男性を鞭打つというシーン はそれほど話題にはならなかったようです。
サド裁判のずっと後になって文庫化もされた種村季弘訳が出版されました。
もしも「毛皮を着たヴィーナス」が猥褻罪で糾弾され
マゾ裁判 みたいなことになっていたら、M男の人権はもっと悲惨なものになっていたかもしれない....
と考えると、なぜかワクワクしてしまいます。
【関連エントリー】
■ 毛皮を着たヴィーナス
m(_ _)m
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ただ、彼がその著書の多くを牢獄で書いたということは
どこかで聞いて、
そうした抑圧的な環境でそうした欲求を覚えるのは
ある意味当然だと思って、済ませてしまったというか。(笑)
homerさんがそう仰るなら読んでみようと思います。
彼のサディズムは性愛倒錯の結果なのか、
あるいは、ただのストレスの成せる技だったのか‥
気になってまいりました。
今こうして綴っていて、
仮に彼のサディズムが一時的な抑圧環境で生じたのだとしても、
自身のサディズムも(一時的でないだけで)結局根源は同じだ、
ということに気付かされました。‥(-_-)!
って、そもそもサドはなんで牢獄に入れられたんでしたっけ??
サド行為で??だとしたら私のコメントは本末転倒ですね(^_-)
毎度ながら徒然まとまりなくスミマセン。