
別に隠していたわけではありませんが、このお芝居には感心しました。
ものすごく、よかった! 僕はこういうの大好きです。
満員でも百人は入らない小劇場。
靴を脱いで座布団に座る(椅子式だが)懐かしい空間。開演前には役者さんがおみくじを配っていて、アットホームな雰囲気づくりが微笑ましい。
しかし、東京のお客さんは意外と冷たい。ファンもさくらもいないのでしょうか?
誰もくじを買おうとしないので、いたたまれなくなりトライしてみたら大当たり!
景品は舞台(ゲネプロ?)の生写真でした。
月蝕歌劇団 は、噂では、超マイナーな劇団らしく
「名前を知ってるだけで偉い!」 とある人に言われてしまった。
それだけで得意になってしまう僕ですが、これをアングラと呼んでいいのやら、
とてもわかりやすくて、 面白いお芝居 だったと思います。 それは僕が原作を何度も読んでおり、沼正三の情報にも親しんでいたからなのかもしれません。
かつて「奇譚クラブ」で知り、小説で読みコミック本も買い、覆面作家の数々のスキャンダルに当惑していた時代もありました。
「ある夢想家の手帳」も愛読書であり、沼正三の思想・哲学は僕の原点でもあります。
それなのに、何の先入観もなしに、不思議とこの舞台とは一体化することが出来ました。
これは僕だけの特別な感じかたなのでしょう。
おそらく、全く逆の評価をする人もいると思います。
あるいは、
難解 だと。

チケット種別には「小学生:1,300円」とあり、特にアダルトでも18禁でもなく、誰にでも扉を開いている。
(凄いことだと思う)
だからといって「健全」かどうかはともかく、過激でないとは言えないけれど、ごく普通の大人が観て楽しめるエンターテイメントの水準にはあったと(僕は)思います。
ただし、SM的なものを期待して観ると失望します。
もっとも、それを目当てに来た人もいなかったでしょう。
客層は若い女性を中心に、さわやかな人びとばかり。僕のような「まぞマゾしい」人はいませんでした。
聖水や鞭打ちのシーンこそ何度か出てきますが、純粋にSMの愛好家として見るなら、そこは
安全なコメディー になっていました。
「家畜人ヤプー」の持つグロテスクな情景は巧みにオミットされており、別にそれが見たかったわけでもないけれど、インパクトに欠け、ちょっと残念。
この予想に反して全体的にさわやかなテイストが、期待はずれというより想定外で心地よかった。
一歩間違えば悪趣味と言われかねないところをギリギリでかわしています。
カニリンガ=舌人形(左)とドリス・ジャンセン役の白永歩美(中央)
麟一郎役のあおい未央
沼も麟一郎も、メインキャストは全て女優が演じており、それが功を奏していたのですが、チープな宝塚を見ているようで、少しだけ違和感がありました。
なるほど「歌劇団」らしく、きちんとミュージカルしてたのにも胸打たれる。
「家畜人ヤプー」の奇想天外なストーリーに、沼正三のリアルな生涯を重ねていく手法は実に見事です。
演出家はこのタイムラインとパラドックスの構成を見せたかったのだろうな、と思います。
あえてシビアなコメントをするなら、原作が持つマゾヒズムの本質に迫るまなざしが希薄であること、権力や体制、権威への批判精神も弱い点でしょうか。
そこまでやってくれれば一流のアングラ演劇として成り上がる可能性を秘めた素材でもあっただけに、あえてそうしなかった点が惜しいというか、偉大だとも言えるのかもしれません。
沼の少年時代のリビドーや戦争体験のトラウマを、マゾヒズムとの関連性で描こうとするシナリオは意欲的でその心意気には好感が持てるのですが、資料的な事実を並べるだけにとどまり、浅薄な理解から、多くを盛り込み過ぎてしまったという印象です。
谷崎潤一郎の「少年」が urine を飲まされたり、三島由起夫の切腹シーンなど、
悪くはないのだが、なくてもよかったかも、 という、密度の濃いプロットが随所に出てくるので、全体としてピンぼけ気味に映ります。
実は僕もDVD製作を通じて、似たようなことを最近やっているので、そこはつい共感してしまう部分です。
クララと沼正三の叔母・久美子を演じた しのはら実加 マニア受けしかできない素材で、一般受けを狙っているのなら、欲張りすぎたように思います。
「家畜人ヤプー」が、
マゾヒストの、マゾヒストによる、マゾヒストのための作品 であったのと違い、この舞台は
ノーマルな、ノーマルな人による、ノーマルな人のためのお芝居 であることを考えれば、そこまで言うのは野暮かもしれません。
僕がマニアックに堪能できる要素が多すぎて、一般的な所感になっていないです。
まず沼正三やその著作に親近感を持っているかどうかで評価がわかれる舞台であり、そういう意味では原作同様、観客を選ぶ作品です。
だからといって、それらを知らないから鑑賞できないということにはなりません。
タイトルが示す通り、沼正三にスポットを当てたお芝居として見れば、その人物のルポルタージュとして優れた習作の一つとは言えます。
沼正三の生い立ちや存在そのものをマゾヒズムの叙事詩して表現するやり方は上手いなあと思いました。
「奇譚クラブ」の関係者や、康芳夫に澁澤龍彦など、沼周辺のキーパーソンをなかば強引に「友情出演」させ、そうした人びとの会話の節々にも、沼作品特有の衒学性が織り交ぜられており、愉快でした。
それにしても、なんというエネルギーでしょう。
生ものという迫力を越えた圧倒的なパワーを感じました。これが演劇の醍醐味なのです。
このような凄まじい空気感は、映像やDVDのようなパッケージで伝えることはできない。
往年の天井桟敷や状況劇場を彷彿とさせる、ノスタルジックな匂いも嬉しかった。
役者さんも全員いい持ち味を出していました。
他のお客さんの力ない拍手に歯向かうように、僕は心から盛大な拍手を贈って劇場をあとにしました。
パンフレットは手書きのモノクロコピーに生写真を貼るだけというシンプルさ! ホチキスどめが泣ける(>_<)
「家畜人ヤプー」は幻冬舎アウトロー文庫から全5巻で発売中。
江川達也のコミック版も同社からでている。
1982年に石ノ森章太郎が出した最初の劇画版(辰巳出版)の
復刻版が最近刊行された。
その解説を丸尾末広が書いており、出版記念イベントでトークショーが行われていた。
丸尾末広に聞くマゾヒズムの世界 舞台公演について、ノーマル系ブログでも記事化されていました。
月蝕歌劇団・演劇公演「沼正三/家畜人ヤプー」(ザムザ阿佐谷)を見た月触歌劇団「沼正三/家畜人ヤプー」家畜人ヤプー【演劇】沼正三/家畜人ヤプー【参考サイト】
「家畜人ヤプー」への誘い(筑波文学の会) 天野哲夫、沼正三、「家畜人ヤプー」、そして、三島由紀夫『家畜人ヤプー』映画化について鬼六ブログ 【対談】康 芳夫 その1鬼六ブログ 【対談】康 芳夫 その2鬼六ブログ 【対談】康 芳夫 その3

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観客の反応は「唖然」という感じでした。終演の拍手にもやや戸惑いがあったように思いました。それは内容のインパクトと原作を知らない事による難解さの両方であったかと思います。
演劇を実際に見た経験が乏しいからなのかもしれませんが、お芝居の力に引き込まれました。あの狭い空間だったからかもしれません。かなり一体感があったと思います。
あっという間に時間が過ぎました。