三島由紀夫が自殺した1970年は
「家畜人ヤプー」が単行本として発売された年でもあった。
三島が割腹自決をする数ヶ月前、
寺山修司 が彼と雑誌で対談している。
以下は、雑誌「潮」(1970年7月号)での二人の対談から:

三島:ところで「家畜人ヤプー」という小説読んだ?
寺山:読みました。おもしろかったです。
三島:僕がアタマにきてるのは、奥野健男があとがきで書いているんだよ。
僕がこの作品を嫌いになってしまった、と。
寺山:楯の会をやってるからね。
三島:僕は、そんなつまんない人間じゃない。
今の日本人が馴れ馴れしくあの小説読むっていうのが嫌いだね。
戦後の日本人が書いた観念小説としては絶頂だろう。
寺山:ああいう装丁で、ベストセラー第何位なんていうのはいやですね。
三島:挿絵はもっとリアリスティックでなきゃいけない。
寺山:ちょっと下手なくらいリアルだというぐらいがいい。
三島:少年雑誌みたいなリアリズムが「家畜人ヤプー」みたいな小説には必要なんだ。
この小説で感心するのは、前提が一つ与えられたら、世界は変るんだということを証明している。
普通にいわれるマゾヒズムというのは、屈辱が快楽だという前提が一つ与えられたら、
そこから何かがすべり出す。すべり出したら、それが全世界を被う体系になっちゃう。
そして、その理論体系に誰も抵抗できなくなってしまう。
もう政治も経済も文学も道徳も、みんなそれに包み込まれちゃう。
そのおそろしさをあの小説は書いているんだよ。
寺山:発想のわりにアレゴリーにならず肉体的な作品というところが稀有ですね。「潮」(1970年7月号)
寺山は三島より10歳年下なので、ここでは少し控えめなのかもしれないが、それにしても三島の「家畜人ヤプー」への文芸批評は凄まじいものがある。
話のわかる相手にだからこそ、このように熱く語られたのだと思う。
寺山も、沼正三の熱心な読者であり、沼のフェティシズムやマゾヒズムを深く理解していた。
今日5月4日は、寺山修司の命日である。
第2回寺山修司音楽祭 (月蝕歌劇団のHPより)
【もしかするとあまり関係ないエントリー】
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人間、右か左か、上か下か、SかMかでわけたがる人はいるけど、右は左に通じて、SはMに通じるってことを肝に命じておかねば。