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マゾヒズムに花束を!

恥ずかしくて、ためになる情報発信 Female Domination & BDSM

女性崇拝について 

女性崇拝イメージ

 「あなたは女性を崇拝していると言うけれど、心の底では見下しているんじゃないですか?」

 先日、ある若いミストレスにこのように言われたことが頭から離れない。

 ちょっと心外だった。そういう態度を見せたことはないと思っていただけにショックだ。

 ここで、僕の脳内に宿る仮想人格の homer が表の世界に飛び出す。


ホーマーhomer:いえ、そんなことないです。なぜそう思われるのですか?

コムスメMistress:「崇拝するフリ」が好きなのであって、

            別に私を崇拝しているわけではないでしょう?


ホーマーhomer:貴女のことを崇拝したいと思っていますよ。

        でもイキナリそれは難しくて、時間がかかるものです。


コムスメMistress:つまり、「崇拝したい」と思っているのよね。

       実際は私のようなコムスメを崇拝なんかしてないし、出来ないんだわ。

       崇拝できると思っている自分に酔っているようなところありませんか?



 う~ん、これには返す言葉がなかったゼヨ。(←なぜか急に土佐弁)

 あっけにとられている僕に、彼女は天使か小悪魔かのように微笑んだ。

 二十歳そこそこのコムスメに、ここまで言われてしまうのも「萌え~」なわけであるが、そういう自分の内心に、偽善的な女性崇拝心がかすかにあったのかもしれない。

 個人的におつきあいしているプライベート調教ならいざ知らず、SMクラブなどで刹那的にプレイするだけなら、最初は崇拝するフリをするのが第一段階だと思う。

 その後、何度かセッションを重ねてから、信頼関係を築けるかどうかの判断とともに、崇拝や服従の気持ちが芽生えてくるかどうかであろう。

 夫婦で FemDom ライフを実践しているような、いわゆる「24/7」の主従関係においてすら、キビシい現実感のある事例が最近の ちょっぴりFemDom?でも触れられていました。

 しかし、形式つまり真似事から入ることを批判される筋合いはなかろうもん(>_<)

 生け花や茶道だって、最初は何のことやらわからない状態で型から学ぶ。

 人前でそれが出来るかどうかは別にして、やれと言われて跪いて足にキスできる心の準備があれば、もうそれだけで FemDom 信望者と言えるのではないだろうか?

 いくら崇め奉っていても、そういうこと(土下座やキス)ができない人もいると思う。




 崇拝している(あるいは愛しているとかの?)気持ちをどう伝えるのか。

 女性だからといって、誰でもかまわず崇拝できるものではない。

 その相手が、いくら美人で貫禄ある女王様だとしても、崇拝できない場合だってあるのである。

 だから僕は、言われてみれば真の女性崇拝者とは言えないのかもしれない。

 あえて言おう、

 崇拝できない女性だっている。


 いや、実際問題、世の中には人格的に素晴しい女性はたくさんいるけれど、

 崇拝したくなるような女性はそれほど多くない。


 それにしましても、最近のSMクラブの女王様は偏差値が高くなってきているように思います。

 学歴どうのこうのではなくて、知性とか教養の水準の高い人材が入ってきてます。

 実際、大卒レベルの女王様は増えてきている。

 昔に比べたら大学進学率があがったというのもあるのだろう。

 僕が大学の頃は、アルバイトでAVモデルをやるような女子大生はいても、風俗にまでは行かなかった。

 ヌードになったり身体を触られることがないから、ソープ嬢よりはSMクラブの女王様になりたがるという軽薄な女の子も多い。

 とても崇拝なんかできっこない女王様を相手に猿芝居を演じなければならないのが昔のSMクラブだった。

 最近はそのSMクラブですました顔して女王様をやっていらっしゃるのが女子大生だったりする。

 偏差値が高いからよいセッションが出来るというものではないけれど、

 崇拝するに値しないアンポンタン(←死語?)が女王様をやっていた時代よりはいい。

 それはフェティッシュバーの腰掛けミストレスにも言え、ちょっとした会話内容でその女の子の水準がわかる。

 別に見下しているわけではないのだけれど、甘くみてると痛いめにあう。

 痛いメにあってみたいから、いいのか (。。)☆\バキ


 ここでふと、ある有名フェティッシュバーのカリスマ・ミストレスの言葉が脳裏をかすめた。

 この彼女は僕が崇拝している数少ない女性のおひとりなのだが、

 逆の立場でM男性との距離感に言及したもので、彼女は自分につぶやくようにこう言った。

ゆ

ユリイカゆみりん


 立場上セッションなどでM男を跪かせ、文字通り上から目線で見つめることをしても、

 一人前の男として敬意をはらわなければならない、というような文脈であったように思う。

 みおろしても、みくださない。

 こういう言葉を聞くと、それがウソでも心から崇拝したくなるし、見下されても本望だ。

 もちろん、彼女は僕のことを見下したりはしない。


 「全ての女性を崇拝している」なんて真顔で言える人こそ偽善者だと思う。

 職業に貴賎はないし、誰にでも敬意を持ちたいと僕は思っています。

 先の若いミストレスなら、「敬意を持ちたい」と思っているだけでしょ! とまた批判するでしょうが、

 残念ながら、敬意を払えない人たちが少なからずいるのは事実です。

 でも、崇拝は出来ないからといって、見下したりはしません。

 あの時にコレが言いたかったんだよ!  (>_<)


 どうでもいいか、こんなコト...



【ほとんど無関係なエントリー】


文豪SM座談会
  明治の文学者が女性崇拝について熱く語る!


胸キュン(←死語?)
胸キュン



北川繚子さんとの会話
ホーマ&北川
  ヘタレMホーマーの女性上位思想






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[ 2010/12/28 06:41 ] 仮性M日記 | トラックバック(-) | CM(8)
バカだから可愛い、守ってあげたいっていう場合もあるんですけどね……
[ 2010/12/28 06:50 ] [ 編集 ]
世阿弥だったか、精神を学ぶのは易しいが、形式を学ぶのは難しいというようなことばがありました。

M男性がミストレスに拝跪するとき、そこにあるのは日常的なディティールをはぎ取った、理想的な女性のイメージであり、女性崇拝のコアな部分なのではないかと思います。それは、対象の中にも「形」として顕現しているものであるはずだと思います。
[ 2010/12/28 10:46 ] [ 編集 ]
こんにちわ。
ずっとロムってばかりでしたが、初めてコメント致します。そのミストレスさん(若いほう)は、ホーマーさんに崇拝してもらいたかったのでしょうね。「見下されている」と思っていたわけではないと思います。微妙な乙女心です(*^_^*)
[ 2010/12/28 11:29 ] [ 編集 ]
最下位争いってありませんか?
下の下になって自己陶酔。
娼婦の中でも最底辺の立ちんぼに苛められたいとか。
[ 2010/12/28 13:13 ] [ 編集 ]
 通りすがりさん、僕はバカだから、かわいがってもらいたいです^^
いや、わかりますよ。まともな男だったら守ってあげたいと思うのでしょう。
僕はまともじゃないんです(>_<)

つるさん Re:形式

 それ「風姿花伝」にありましたかね、うろ覚えですが。

 世阿弥といえば僕は「秘すれば花」を思い出します。

 彼の芸術論は「初心忘るべからず」のように、シンプルすぎて逆に難解なような気がする。世阿弥の言葉を現代語訳するなら、「マゾヒズムという精神は優しいが、土下座の形式は難しい」?てな感じになるのでしょうか?

「理想的な女性のイメージ」というのは、エゴマゾの共同幻想という気がします。

Re:乙女心

S少女様 ようこそいらっしゃいませ。
 コメントはお気軽にどうぞ~(^o^)

 なんというのか、崇拝してないわけじゃないんですけど、上手く伝えられなかった。
 間違っても見下してなんかいないのに、そう受け取られていたというのが悲しい。
 乙女心以上にマゾ心もビミョーなのです。


古都さん

>最下位争いってありませんか?

う~ん、どうだろう。それも「バカだから可愛い」の類になるのでしょうか。

 例えば、男子生徒が年上の女教師に虐められるのと、

 年配の男性教諭が女子高生に虐められるのを比べると、

 後者のほうに萌えます。

 あまり関係ないか(>_<)

 どちらかというと、最上位争いかな。高貴であればあるほど萌え~みたいな。

 相手が自分より高次元にいてくれないと、崇拝できないと思う。


[ 2010/12/28 15:30 ] [ 編集 ]
金子光晴の詩に「女への弁」というものがありますが、
崇拝できない女性は崇拝しなくていいと思います。
ただ、自分も気づいていない下心に気づく強者もいるのは確かですね...
[ 2010/12/28 21:36 ] [ 編集 ]
「女のいふことばは、 いかなることもゆるすべし」ってやつですね?

思えば「どくろ杯」がおいらんこさんとのご縁のはじまりでしたが、今度じっくり読んでみます。
[ 2010/12/29 00:19 ] [ 編集 ]
いえ、単純に崇拝の気持ちを形にするのは難しいということです。

playには、崇拝(あるいはそう仮想する)というところから発するか、「こんな下らない女」「こんな小娘」から辱めを受けるだめな自分というところから発するかという二つのデフォルト値があるような気がします。
playがsessionとなるとき、そこには相互の人格の尊重という「文脈」が入り込むのではないかと想像しています。しかし、それを形にするのは相互に難しいことなのだろうと思います。
ミストレスの学歴が2チャンネルで書かれたりするのも、その「文脈」作りの一環かと思います。
[ 2010/12/29 10:33 ] [ 編集 ]
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