*写真はイメージです マゾヒズムの特質を考える上で、感謝の表現を見直すことは意味があると思う。
なぜならマゾヒストは、普通の人が絶対に感謝しないこと(例えば苦痛や侮辱)に対して、その行為者へ感謝するからだ。
感謝の気持ちをきちんと伝えるのはそう簡単なことではない。
ありがとう」のひと言は大切だが、言えばいいというものではないのだ。
最近、コンビニなどでお釣りを受け取る際「ありがとう」と店員に言う若い客の態度がムカツク、などという事例が報告されているように、逆効果になってしまっていては本末転倒であろう。
何ごとも、気持ちを言葉だけで伝えるのは難しいものがある。
月並みな言い方で自分でもつい
「ケッ」と思ってしまうけれど、やはり
心がこもっていないと。 それこそ、先日
女性崇拝について で述べたように、形式だけではすぐにバレてしまう。
オーバーリアクションで「ありがとう」を連発するより、気持ちのこもったさりげない会釈のほうがよっぽど重みと暖かみを感じる。
ここでよく「口で言わなきゃワカンナいよ」と言われる部分だが、
そのワカンナいところを補うのがこうした目に見える形なのだ。
*写真はイメージです 近年、その形そのものが崩れてきているような気がする。
就活でのお辞儀セミナーが盛況なのも納得できる。
親子や友人同士も含めてフラットな人間関係が進み、礼儀作法の枠組みがダイナミックに変化してしまった。
「ただの友だち」のような家族関係や
ただ友夫婦 も増加している。
ネットやメール環境の発達も関連しているのか、形の見えないニュータイプのコミュニケーション・スタイルに、リアルな状況でのマナーやモラル意識が追いついていない。
いきものがかりの「ありがとう」のヒットには、こうした環境や意識の変化も背景にあるのかもしれない。
誰だって、
感謝の気持ちを伝えたいのに、 思うようには伝わらないから。 たった1行のケータイメールのあるなしが、感謝の気持ちの有無にすりかえられてしまう。
しかし時代や社会のシステムがいくら変わっても、感謝の本質に違いはないはず。
普段からリアルなシチュエーションでの感謝の気持ちを伝えるという実体験がなければ、「ありがとう」と口で言ってもその声は白々しく響くだけだろう。

*写真はイメージです その点、SMセッションの最中M男は気持ちの入った感謝の言葉を連発している。
いくら虚構のストーリープレイの中とはいえ、その一瞬は永々の真実だ。
「心の底では見下してるくせに」と、ある女王様には言われてしまったけれども、
そんなことは全然なくて、僕の馬鹿げた妄想に真摯につき合ってくれる彼女たちには本当に感謝している。
セッションから離れた場所で、虚構ではなく現実の距離感でこの気持ちをきちんと伝えられなければならない。
たとえ受け止めてもらえなくても。
M男のありがとうは、重く、熱いのだということをわかってほしい。
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■ トイレの神様 ■ 女性崇拝について
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なかなか深いテーマですね。
M男の「ありがとうございます」が決して白々しく聞こえないのは、立場、役割がきわめて明快にされているからではないでしょうか。
ところで、鞭を打たれるたびに「ありがとうございます!」と言う(言わされる)ありがとうは、また別の意味で気持ちがこもったものだと思います。