
もうそろそろオン・エアーを自粛してほしい
「こだまでしょうか?」のコマーシャル 。
CMとしての意図や出来はともかくとして、金子みすゞのイメージダウンにならないか心配です。
もっとも、これで金子みすゞを初めて知りましたという今の若い人には、やや意味不明かもしれない。
詩そのものは、豊かな解釈が可能で、視野を広げてくれているのに、この映像でみると、かえってわかりにくい面もあると思います。

金子みすゞの「みんな違って、みんないい」というフレーズを知っていると、この「こだまでしょうか?」は理解しやすいと思う。
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。「わたしと小鳥とすずと」金子みすゞ
自分の言動や態度は、まるでこだまのように人から跳ね返ってくる。
人は、こだまみたいなもの? いや違う。
「いいえ、誰でも」とは、「いいえ、誰もこだまじゃない」と、僕なら解釈します。
つまり人は同じ(=こだま)ではない。
誰もが、こだまのように同じリアクションをするわけではない。
人はみんな、違う。
中にはこれと全く反対の解釈をする人もいるようです。
「いいえ、(人は)誰でもこだまのようなものだ」と。
優しい言葉をかければ、優しい言葉がかえってくる。
冷たい言葉をかければ、冷たい言葉がかえってくる。

こだまであろうとなかろうと、いずれにしても言いたいことは一つだと思います。
つまり、「誰にでもやさしくしたい」という願いであると考えられます。
また、「こだま」をたんなる現象としてでなく、「木霊=木の精霊」という見方も出来ます。
さらに「こだま=子ども」と解し、こどもはこだまのように大人の心を反映するので、
特に子どもの時分からやさしく接してあげようという理解も可能です。
人はこだまのようにあなたの気持ちを反映するので、まず自分がやさしくなろう! と。
そして人にやさしくしよう。子どもにも、もちろん大人にも。誰にでも。
おそらくCMのプランナーは、そういうメッセージを託しているような気がする。
もしそうでなくても、こうした解釈は妥当でしょう。

人はこだまみたいなものなのでしょうか、それともこだまではないのでしょうか。
人間には皆、同じような面もあれば、違う面もあります。
日本語では「いいえ」の後に肯定文でも、否定文でも続けることができる。
だから文法的にはどちらの解釈でも意味が成り立つので、ややこしくなるんだと思う。
ただ僕は、金子みすゞの真意をわかっていないのかもしれませんけれど、
みんなが、それぞれ好きなように解釈していいのだと思っています。
文章として不完全だからこそ、想像力で自由に読めるのがポエム。
その想像力だって、みんな違って、みんないい。
僕は
この解説 も好きです。
詩情あふれる素晴らしい世界が、くどすぎる放映のために色あせていくのが残念でなりません。
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私だけでしょうか。