先月発売されたばかりの新刊である。澁澤龍彦訳を何度か読んでいるせいか、読みやすかった。内容的には澁澤訳にはなかった短編「恋する女」と続編とも言える「再びロワシーへ」が収録された「完訳」なんだそうな。
澁澤はフランスで出版された1954年の初版を底本として翻訳しているが、作者はその後加筆修正でなく、余計な部分を「削除修正」している。なんやかやあって2005年に改訂版が出て、それが今回の底本になっている。
作者はポーリーヌ・レアージュ。実はドミニク・オーリーという覆面作家であった。沼正三じゃないけど、匿名性を維持しないと出版できないほど、内容的に当時はかなりスキャンダラスな話題となっていた経緯が「完訳」の解説で詳らかにされていて面白かった。
上品なマゾヒズムの入門書として僕はこの作品をとらえている。
普通の女性が
Mに目覚めさせられる というストーリーは、SMとは無縁の一般読者にも、この世界の精神面を理解する手助けになるのではないだろうか。ここには「鞭で打たれて喜ぶ変態マゾ」という通俗的な偏見はない。背徳的だが美しい愛の世界が描かれ、クオリティの高い恋愛小説として読める作品だ。しかし、発表された1954年当時の日本には澁澤龍彦以外にこれを理解できる人はいなかったのかもしれない。日本で評価されるにはその後20年を待たなければならなかった。
1974年
「エマニエル夫人」の監督によって
映画化され、エロティックな文学作品のひとつとして広く世に知られることになる。その後SM文学のバイブル的ステータスを獲得するものの「S趣味のある男性向けポルノ」といった見方も依然として一部でされているようではある。もちろんそのような楽しみ方も可能だが、作者のポリーヌ・レアージュは女性読者を意識してこの作品を、O嬢を描いているように思えてならない。
つまり
「恋愛の過程で貴女にマゾヒズム願望が芽生えたとしても、
それは普通の愛情表現となんら異なるものでありませんよ」 というメッセージが受け取れるのだ。
S男性なら言われなくても読むような作品だが、S趣味のある女性や職業女王様にもぜひ読んでもらいたい一冊だし、何よりもFem-Dom 願望を持つ男性読者にもインパクトあるメッセージが伝わるはずである。僕としては自分のマゾヒズム願望の本質的な部分と重なるところがあって、「毛皮を着たヴィーナス」と並ぶ座右の書となっている。
だけど今さら小説を読むのはかったるいという向きには、もう一つのリソースともいえる
ギド・クレパクスのコミック版の一読をお薦めしたい。これはこれで原作の偉大さを超えた、新たなるアートの世界が味わえる。
(・・・って、絶版なんですけどね、コレ ^^... )

フランスの批評家バルトの解説文も珍しくわかりやすい。第2巻ではなんとアラン・ロブ=グリエも寄稿している。並のコミック本という扱いではないことが伺いしれる。
文章でも映像でも表現しきれないイラスト独特の抽象性が、効果的にマゾヒズムの本質を描くもう一つの手法として成功しているように思う。
p.s
最近「M転」したS女さんは、コレ読んだのかしら・・・
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