戦争映画は好きでも、本当に「戦争が好き」な人はいないでしょう。
先の大戦については、すでに知ってる人も少なくなってきたし、関心のある人がいなくなってきた。嫌いなのはいいとして、まったく興味が持てないというのも、いかがなものかという気がする。今グルジアで何が起きているのか、オリンピック以上に注目してもバチは当たらない。具体的に何も行動できはしなくとも、何も知らないよりはまだマシだ。
日本は敗戦を経験したことで、ある意味で戦争アレルギーになっているんじゃないですかね。戦争はイケナイことだという「信念」ではなく、
戦争なんて、俺たちにはもうアリエネ~よ!
みたいな。
無関心というより、存在そのものが見えないし、考えようともしない。拒絶反応とか、「無視」というアクティブなものすらない。
今もしも、日本が戦争状態になって徴兵制度が復活し、若者が戦地へ行かねばならない事態になったとしたら、皆さんどうされるのでしょうか。反対集会とかデモやっていて間に合うのかな?
侵略されて皆殺しにされるくらいなら、いやいやながらもおとなしく行くかしらね。

世論が許さないとか言ったところで、国がやるっていうんだから、やるしか、行くしかないでしょう。
そうなったらなったで、あきらめて行くような連中は、ワーキングプアーなオタクばっかりで、ろくな戦力になりゃしないだろうけれど。 だけど、無差別に誰でもよかった的に罪のない人を殺すぐらいなら、戦場でこちらに敵意を持つ兵士に銃口を向けることの方がはるかに人間らしい。どうせ返り討ちにあうとしても、正当防衛という「正義」はある。しかし、戦争そのものには正義はないのだ。
人殺しをするよりも、「非国民!」と呼ばれて刑務所に行く人も現代ならいるかもしれない。
いや、いて欲しいですね。ていうか、今の若い人たちって、ほとんど非国民という気がします。愛国心なんかないでしょ?
僕ならどうするか? 僕はそこまで非国民じゃないけれど、今の気分ではとても行く気になれない。僕は身勝手な人間ですが、さすがに自分に人を殺せるとは思えない。
人を殺したくないとか、そんなきれいごと言う前に、まず
自分が死にたくないだけ だったりするんですが。
まだこの世に未練がある。とりあえず流れに身をまかせてでも生き延びたい。
「君のためなら死ねる」と言えるほど愛する人もいないし、ましてやお国のためになんか絶対に死にたくないですよ。
それこそ「ヤプー」的にでも、生きることを選ぶだろう。僕は弱い人間です。
ま、本当に戦争になってみないことにはわかりませんが、今の状況で国民の総意で戦争を回避できるようなシステムじゃないからね。国がっていうより、「人間が」っていう意味で。戦争や国というもの、政治や社会に無関心な人間ばかりでは、どうにもならん。
しかし、まあ、趣味的に拷問を受けるような遊びが出来る今の世の中は、ある意味で平和なことで、結構なことなんじゃないでしょうか。
一年に一度だけでも、戦争について少しは真面目に考えるきっかけとなる「終戦記念日」というのも、ネーミングのダサイところは差し引いて意義はあったでしょう。
海の向こう側のことまでは正直なところ面倒みきれませんが、身近なところから平和な世の中になることを祈っています。
|
- 関連記事
-
[ 2008/08/15 09:32 ]
雑記 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
≪逝くべきか逝かざるべきか | HOME |
顔面騎乗の美学≫
≪逝くべきか逝かざるべきか | HOME |
顔面騎乗の美学≫