
SMをやっていると、まぁ「やる」っていうか、具体的には特に何もしていなくても、好きだったり、ハードディスクにそれっぽい画像を貯め込んだりしているだけで、なんとなくウシロメタイものを感じるのではないだろうか。ましてや、SMクラブに足を運ぶなんてのは、相当肩身の狭い思いをするというのが一般的なのかもしれない。
だから、話題性のために女王様に演技指南を依頼したけれど、「普段はそんな趣味はありませんよ」とコメントした俳優の気持ちもわかるような気がする。
↑ もうそのテ趣味を持っていると確信したような言い方するなっちゅうの (。。)☆\バキ
人とは違う。 SMや同性愛、フェティッシュな嗜好を持つ人々は、常にこうしたコンプレックスを抱いてきた。そのような劣等感をバネにまともな人になろうと努力し、日常的社会的にはなんの問題もなく生きている人がほとんどであろう。室井亜砂二や春川ナミオら先達も、表の仮面を脱いで自己表現する場を「奇譚クラブ」に求めていただけなのだと思う。
だから、ある意味で世の「健全なる変態」というのは、自分を客観的に見ているはずだし、もし主観的にも変態だったら少しアブナい。人とは違うことを自覚していればこそ、アブノーマルとノーマルの狭間で自由に生きることが可能なのである。
しかし、あからさまに「私はアナタとは違うんです」とは、なかなか言えることじゃない。それはもう変態のカミングアウトに等しい発言だ。心の中でそうは思っていても、面と向って言えないやね。
今の世の中は「アナタと私は同じグループにいますヨ」ということをまず大前提に話を進める人が多いし、時としてそれは社交上のマナーとしての価値もある。
本来、人と違うことは別に悪いことではない。多くの人と異なることをユニークといい、その差異を個性と認めることこそが、コミュニケーションの出発点なのである。
「アナタとは違う」ことを理由に「アナタを理解出来ない」として拒絶する姿勢は、政治家として、いや人として自分を客観視している人の発言とは思えないのだが・・・
どうでもいいか、そんなコト。
【関連項目】
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福田総理の辞任会見
記者:(~略~)総理の会見は国民にとって人ごとであるという感想が多いが
福田:(~略~)人ごとのようにとあなたはおっしゃいましたが、私は自分自身は客観的に見られるんです。
あなたとは違うんです。
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